「昔は仲良かったのに」から始まる、大人の友情の距離感。

日常とひとりごと

この前、学生時代の友達と数年ぶりに再会した。
久しぶりに会って、懐かしい話をして、
笑い合って、じゃあまたねって別れた。

でも、正直に言うと、
帰り道、ちょっとだけ寂しかった。

「あれ?こんな感じだったっけ」
って。

あんなに気を使わず話せたのに。
何時間でも語れたのに。
今は会話に間ができるたび、
お互いにスマホをいじる時間が増えていた。



「昔は仲良かった」って、なんでこんなに切ないんだろう。

友達って、いつまでも続くものだと思ってた。
でも実際は、人生の流れとともに少しずつ、
自然に、距離ができる。

嫌いになったわけじゃない。
連絡を無視したわけでもない。
ただ、お互いの生活が、考え方が、
少しずつ違っていっただけ。

その「ちょっとのズレ」が、
だんだん積もっていって、
気づけば「最近どうしてる?」の一言が重くなる。



無理に戻そうとしないことも、友情のかたちかもしれない。

「また昔みたいに戻りたい」
と思う気持ちはある。
でも、今の二人にとってそれが心地いいかどうかは、
また別の話。

ぼくは、一度無理に昔のテンションで
会おうとして失敗したことがある。
なんか空回りして、
相手も気を使ってるのがわかって、
その日一日が
「なつかしいけど、ちょっと苦しい時間」
になってしまった。

それ以来、ぼくはこう思うようになった。
「変わってしまった関係は、戻すものじゃなくて、味わい直すものだ」
って。



距離ができたからこそ、見えるものがある。

関係にちょっと距離ができると、
その人の「大事さ」が
逆にクリアになることがある。

久しぶりに連絡をもらって嬉しかった夜。
誕生日にふいに届いた「おめでとう」のメッセージ。
何年も会ってないのに、
「あのとき、ああ言ってくれてありがとう」
と思い出す瞬間。

ぼくの中には、
そういう場面がちゃんと残っていて、
たぶん、あの人の中にも、
同じように残ってる瞬間があるかもしれない。

友情って、今この瞬間だけで作られてるんじゃなくて、
積み重ねた記憶の層でできてるんだと思う。



今の自分に合う人を、大切にしていい。

変わってしまった関係に無理してしがみつかなくてもいい。
その代わり、
「今の自分」とちゃんと向き合ってくれる人を、
大切にすればいい。

昔の友達が悪いわけじゃない。
ただ、今の自分には、
今の自分と歩幅が合う人がいる。

一緒にいると気を使わなくていい。
話さなくても落ち着く。
そういう相手と過ごす時間に、
自分を預けられる。

それは「新しい友達」っていうより、
「今のぼくが必要としてる縁」なんだと思う。



最後に:「あの頃の友達」にも、心の中でありがとうを。

たぶん、もう連絡を取らないかもしれない友達がいる。
でも、ぼくはその人との思い出を、
ちゃんと心に持ってる。

あの頃、ぼくのことを笑わせてくれたこと。
失恋して落ち込んでたとき、
意味わかんないスタンプで励ましてくれたこと。
深夜のサイゼリヤで、
将来の話を語り合ったこと。

全部、今のぼくを作ってくれた。

もう、道は別々になったかもしれない。
だけど、「その人がいた時期の自分」を、
ぼくはちゃんと好きでいたい。

そして、たまにその人のことを思い出して、
「元気でいてくれたら、それでいいや」
って、静かに願えるような自分でいたい。

「誰と関わるか」より「誰と関わらないか」が人生を変える話
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恩返しは、巡り巡って返せばいい。って話
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