「自分って、いなくても困られないな」
そんなふうに感じる日がある。
誰からも連絡が来ない日。 飲み会にも誘われない週末。
SNSを開けばみんな楽しそうで、
自分だけが世界から忘れられたような気持ちになる。
「誰かに必要とされたい」
「君がいてよかったって思われたい」
そんな気持ちは悪いことじゃない。
人は誰でも、誰かに必要とされることで
自分の存在を確かめたくなる生きものだ。
でも、その欲求が満たされないとき
まるで「自分の価値」そのものが
失われたような気がしてしまう。
今日はそんな気持ちにぼくなりの言葉を添えたいと思う。
必要とされないと、不安になるのは自然なこと。
LINEの未読。 返ってこないスタンプ。
空白のスケジュール帳。
自分が誰かの優先順位にいないと感じた瞬間
胸の奥がスーッと冷たくなる。
「何か悪いことしたかな?」
「嫌われたのかな?」
「わたしって必要とされてないのかな?」
そんな不安が心を占めていく。
でもそれって人間らしさの証拠だと思う。
人は「孤独」に対して本能的に敏感になる。
不安になるのはやさしい心があるから。
誰かを大切に思ったことがあるからこそ
自分も誰かの大切になりたいと思う。
それは、すごく健全なことだ。
でも、「必要とされること」に価値を預けすぎると、しんどくなる。
必要とされる自分。 役に立つ自分。 頼られる自分。
それが「自分の存在価値」になってしまうと
何も求められない日、自分が空っぽに感じてしまう。
誰かに褒められないと安心できない。
誰かの期待に応えていないと意味がない。
そんなふうに「他人の目」や「他人の感情」に
自分の価値を委ねてしまっている状態。
でも、それってものすごく不安定だ。
なぜなら、 人の気分や感情なんて天気よりコロコロ変わるから。
あなたの価値は、他人の「受け取り方」で決まらない。
誰かが笑ってくれたら価値があって
誰かに無視されたら価値がなくなる。
そんな基準で生きてたら
ずっとずっと、心は休まらない。
ぼくたちはもっと「自分の目」で
自分の価値を見てあげていいと思うんだ。
たとえば今日、
ちゃんと起きて、ちゃんと生きた。
それだけですごいことだ。
朝、布団から出た。 顔を洗った。 空を見上げた。
それって当たり前じゃない。
ちゃんと、命を使った証だ。
誰かのためじゃなくて自分のために生きてる。
それがほんとうの価値なんだと思う。
誰にも必要とされていないように感じるときこそ、自分を抱きしめて。
人に優しくすること。 気を使うこと。 役に立とうとすること。
それはあなたの魅力だ。
でも、それが「全部」じゃない。
なにもしていない時間のあなたも
ちゃんと「価値のある存在」だ。
誰かの役に立ってないと不安になるときは
それだけ「愛されたい」って思ってる証拠。
だったらまず
自分が自分を抱きしめてあげよう。
「今日もおつかれ」
「ここにいてくれて、ありがとう」
言葉にしなくてもいい。
心のなかで、 あなたがあなたにやさしくしてあげるだけで
見えない傷が少しずつ癒えていく。
価値は「誰かに与えるもの」じゃなく「自分の中に灯すもの」。
誰かに認められてはじめて自分の価値が生まれる。
そう信じて生きてきた人ほど
認められない日々は空虚に感じるかもしれない。
でも、本当は逆なんだ。
あなたの価値は「自分の中にある火」のようなもの。
それは、誰かに見つけられなくてもずっとそこにあって
小さく、あたたかく、 あなたの心を照らし続けてる。
誰かに必要とされなかった日も
それでも生きた自分に、
ちゃんと「ありがとう」と言ってあげてほしい。
最後に:「なに者か」である前に、「ただ在ること」を大事にして。
人に認められる前に。 何かを成し遂げる前に。
あなたは、 ただ「そこにいる」だけですでに十分価値がある。
「誰かの役に立つ」っていうのは、 おまけみたいなものだ。
あなたという存在の「副産物」。
だから、 誰にも頼られていない日があってもいい。
一人きりで過ごす夜があってもいい。
それでもあなたの価値は少しも減らない。
むしろ、そういうときこそあなたの内側の「静けさ」が
本当のあなたを教えてくれる気がする。
あなたが今日ここにいること。
この文章を読んでくれていること。 それが、何よりも尊い。
誰かに必要とされなくても、大丈夫。
あなたには、 あなたの人生にしか咲かない花がある。
その花を、 どうかゆっくり咲かせてあげてください。
誰のためでもない「自分のために」生きていい。
ぼくは、そんなあなたをずっと応援しています。
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