「誰と関わるか」より、「誰と関わらないか」が人生を変える話。

日常

人生って、人との関わりでだいぶ変わる。
これは、いろんな人が言ってるし、たぶん正解なんだと思う。
でも最近ぼくは、「関わる人」以上に「関わらない人」が大事なんじゃないか?って考えるようになった。

もちろん、いい人と付き合った方がいい。
自分にプラスの影響をくれる人と一緒にいた方が、気分も前向きになるし、仕事だって恋愛だってうまくいく気がする。
だけどそれと同じくらい、「あ、この人とは距離置いた方がいいな」と思ったときに、ちゃんと距離を置く勇気って大事なんだよね。


「関わらない」って、悪いことじゃない。

昔のぼくは、人間関係から逃げるのはちょっとダサいと思ってた。
何かを我慢してでも、仲良くしなきゃいけないのが大人ってもんだろ、みたいな。
でも、そうやって無理して関係を続けてると、精神的にすり減る。

ほんとは一緒にいて疲れるのに、「いい人だから」って理由だけで付き合いを続けてしまう。
相手が悪いわけじゃない。ただ、自分に合ってないだけなんだ。

たとえるなら、サイズの合ってない靴を無理に履き続けてる感じ。
誰も傷つけたくないからって、自分の足を犠牲にしてる。それ、もう誰も得してない。


関わる人が変わると、考え方も変わる。

人は、一緒にいる人の影響をすごく受ける。
言葉づかいもそうだし、物事の捉え方も、テンションも、口癖も。
たとえば、やたらと愚痴っぽい人と長時間いると、気づかないうちにこっちも「なんかダルいな…」って気分になったりする。

逆に、前向きな人と一緒にいると、「まあなんとかなるか」って気持ちになることもある。
だから、自分がどうなりたいかを考えたときに、それを後押ししてくれる人と関わるのはめちゃくちゃ大事なんだよね。


「いい人」って、ただ優しい人じゃない。

ぼくが思う「いい人」っていうのは、ただニコニコしてくれる人のことじゃない。
一緒にいて落ち着くとか、自分らしくいられるとか、そういうことの方が大事だと思ってる。

話が盛り上がるとか、趣味が合うとかももちろん大事なんだけど、
沈黙が気まずくないとか、変な気を使わなくていいっていう安心感は、実はかなり貴重だ。

そういう人って、探そうと思ってもなかなか出会えないから、出会えたら大事にしたい。
でもそれって、「合わない人と距離を取る」という選択をした先に、やっと出会えることもある。


「関わらない人」も、自分の人生にちゃんと意味がある。

ここまで読むと、「あの人と関わったの、失敗だったな…」って思う人が出てくるかもしれない。
でもね、ぼくはそれも必要な経験だったと思ってる。

うまくいかなかった関係も、自分にとってはひとつの材料。
「こういう人とは合わないんだな」とか、「こういう時に無理しちゃうんだな」とか、そういうのが見えてくる。

で、その経験を元に、次からはちゃんと選べるようになる。
だから、過去に誰と関わったかも、ちゃんと今の自分を作ってるんだと思う。


結局、人間関係は「選ぶ」こと。

人生って、なにかを選び続ける連続だ。
服を選ぶ、食べるものを選ぶ、仕事を選ぶ、場所を選ぶ——
でも、意外とみんな「人」を選ぶことには遠慮してる気がする。

でもぼくは、そろそろもっと積極的に「誰と関わるか」「誰と距離を取るか」を選んでいいと思う。
それは冷たいことじゃないし、自己中でもない。むしろ、自分と相手、両方のためになることだ。

関係を続けることよりも、関係を手放すことの方が、ずっと難しい。
だけどそれができると、心のスペースにちゃんと余白ができる。
そしてその余白に、ちゃんと次の「いい人」が入ってくる。


最後に:編集権は自分にある。

自分の人生を編集するのは、自分しかいない。
誰と関わるか、誰と関わらないかを選ぶのは、ぼくたち自身にしかできない。

人間関係って、意外とドラマのキャスティングに似てる。
誰を主要キャラにするか、誰を最終回で卒業させるか。
その編集次第で、物語の雰囲気もエンディングも、全然変わってくる。

だから、ぼくはこれからも、自分の人生のキャストをちゃんと選びたいと思う。
無理せず、でもちょっと笑いながら。
そうやって、心地よい人間関係だけで人生を作っていけたらいいなと、思ってます。

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